交通政策策定やトラム建設などの諸事業において、最も重要なプロセスとなるのが市民と行政との協議です。特に、ストラスブールの最初のトラム建設においては、トラム導入に反対する市民が多かったことから、行政はまず市民との協議を行い、トラム導入の目的、意義、効果に関して周知をはかりました。協議において、行政は市民と徹底的に話し合いました。担当者が協議に使うエネルギーは想像以上であり、最初のトラム導入に際しては、事業期間中を通じて合計500回もの協議が行われました。結果的には最終的には反対派の八割以上が賛成に転じました。
フランスにおいては、トラム導入に限らず公共事業ではコンセルタシオン、公的審査という2つの協議を法律で義務づけられています。ここでは、主に2003年にストラスブールで行われた、トラム=トランのコンセルタシオンならびにトラム延伸計画の公的審査を元に、この2つのプロセスについて紹介します。
コンセルタシオンは、事前協議の名の通り、計画策定段階での市民と行政との協議です。この課程において、行政は公共事業の目的や内容、効果について市民に周知をはかるとともに、市民から意見を吸収して計画に反映させます。法律でコンセルタシオンを行うことが義務づけられており、内容や方法、期間などは地方自治体の議会によって決定されます。公的審査はその名の通り、事業決定のための最終審査に住民が参加するプロセスです。公的審査でOKができると、地方議会によって公益宣言(Déclaration d'Utilité Publique)が出されます。これがでると行政は事業に必要な土地を優先的にかつ計画策定段階での地価で購入することができます。公益宣言は、単なる事業へのGoサインではなく、公共事業を進めるための水戸黄門の印籠みたいなものと言えます。
実施主体として、コンセルタシオンは事業を行う自治体主導で行われます。地方議会によって方法・期間が決定され、自治体の担当者によって周知・協議活動が進められます。一方で、公的審査は計画への最終審判という役割があるので、行政・市民両者から中立な立場を持った審査委員が主体となって行われます。審査委員は行政裁判所によって任命されます。また、公的審査の期間は法律によって30-60日の間と決められています。
公的審査委員が市民と協議をして意見を集め、市民の意見を集約し、まとめて、市議会に勧告し、議会はそれに基づき計画修正案を可決して、市議会によって公益宣言が出されて最終決定となります。
計画策定段階での周知および協議で、とりわけ反対の多かった最初のトラム導入においては、コンセルタシオンが最も大切なプロセスであったと言っても過言ではありません。周知ということで、基本的に住民説明会とパネル展示などの広報活動の組み合わせと考えればよいでしょう。展示会場では、大々的なパビリオンを作ったり、市庁舎のフロアでパネル展示をやったりと、かなり大々的にやる場合が多いです。日本で公共事業の説明会と言えば、地元住民のみに限られていますが、フランスでは全市民対象です。地元に重点を置くのは同じとはいえ、Webや広報誌などでかなり大々的に宣伝しています。また、バスを使った移動パビリオンも積極的に使用されます。市当局が主催や協賛する各種イベントにおいても、トラム導入の展示を行い、担当者が市民からの質問に応じるということもしばしば行われます。
日本で住民説明会と言えば、それこそ単なる説明会ですが、コンセルタシオンは事前協議の名の通り、行政による周知プロセスであるとともに、住民の意見表明の機会でもあるのです。コンセルタシオン段階では、広報担当者と市民の協議によって意見を聴集したり、アンケートをとって住民の意見を聞いたりします。1990年代前半の最初のトラム導入時にはコンセルタシオンを徹底的にやって、市民に対して知らないとは言わせないと言うレベルまで周知をはかりました。反対派1人あたり、10回くらいは説明会を開いたそうです。最も協議をやった時期には、それこそ毎晩街のどこかで協議会が開かれているという状態だったそうです。この結果、コンセルタシオンの回数は事業を進めた5年間で500回に達しました。もちろん攻撃的で議論好きなフランス人ですから、協議の段階での議論の激しさは日本の比ではありません。行政は協議に膨大なエネルギーを費やす必要があります。と言えども、徹底して議論することにより市民・行政ともお互いの立場を理解することになり、結局はそれが事業への理解を取る近道であると言えます。
2003年の4月から5月にかけて、トラム=トランのコンセルタシオンが行われました。もはやストラスブールでは、トラムがあるのは当たり前で、延伸されるのは規定の事実扱いされているので、ルートやパースの紹介が中心でした。トラム=トランはCUS(ストラスブール都市圏連合)の郊外へ直通することから、CUS管内よりも他の自治体での協議活動の方が中心であると言えます。市庁舎でのパネル展示、広報用Webサイトの作成、パビリオンバスの巡回、などがおこなわれました。配布されたパンフレットには、意見記入用の紙が同封されており、市民は意見を行政当局に言うことができます(ストラスブールのコンセル用バス・パビリオンの写真が手元にないので、代わりにミュルーズのトラム新設広報用バス・パビリオンの写真を掲載しています)。
公的審査は最終審査期間ですが、広報も最後の周知がはかられます。公的審査においては、各種資料はすべて閲覧できます。
最終決定期間なので、広報も最後のまとめという段階になります。ストラスブールでは、2003年の6月3日から7月10日までの期間で、2006年以降のトラム延伸工事の公的審査が行われました。すでにストラスブールではトラムが走ることは当たり前で、市民の間には早く自分のところへ伸びて欲しいという要望の方が強くなっています。そのため、市民と行政の協議では、どこへ伸ばすかが焦点になります。特にこの公的審査では、延伸ルートから離れたNeudorf地区の住民による計画ルートへの反対意見(自分たちの地区へ線路を通して欲しい)が主な焦点でした(導入前は来ないで欲しいと言う人の説得だったのに、今は来て欲しいと言う人の説得に変わっているのですね)。
公的審査が始まる2週間くらい前から、街の至る所に「公的審査開催」のポスターが貼られ、スケジュールや会場が示されていました。市役所(都市圏連合の方)の庁舎には、「トラム延伸公的審査開催」の横断幕が掲げられていました。日本で言えば、市役所の庁舎に「公聴会開催中」という横断幕を掲げているような感じなので、ちょっと想像が付きにくいかも知れません。今回の公的審査では主に下記の4つのことが行われました。
公的審査の中心となるのが、公的審査委員です。公的審査委員を選ぶのは行政裁判所の役割になります。行政裁判所は文字通り行政関係の訴えを引き受ける裁判所で、行政・市民から中立の立場をとります。公共事業における行政裁判所の役割は、公的審査委員の選定および公共事業の異議申し立て受付の窓口の役割があります。行政裁判所は、市や県、レジオンなど行政当局からの公的審査の依頼に基づき、公的審査委員を選定します。委員選定後は、公的審査は委員によってすべて進められます。
公的審査委員は、立候補制となっています。公的審査委員になりたい人は、書類を行政裁判所に送ります。行政裁判所や行政からなる選定会議によって書類審査が行われ、合格した人が公的審査委員名簿に載ります。行政裁判所は、公的審査の依頼を受けた際にリストの中から公的審査委員を選定します。この際、出来る限り中立の立場を取れる人を選定します。例えば、03年のトラム延伸の公的審査委員は全員ロレーヌ地方出身者が選定されました。公的審査委員は誰でも募集することが出来、ストラスブール行政裁判所管内(アルザスおよびロレーヌ南部地方管轄)では最年少で25才の公的審査委員もいるそうです。しかし、公的審査委員となれるのは、時間に余裕がありある程度経済的に余裕のある層に限られます。すなわち、公的審査委員の中核をなすのは、仕事を引退した高齢の男性が中心となっています。つまり、公的審査委員は引退層の社会的ボランティア活動として行われてるという性格が強いと言えます。なお、公的審査委員は、期間中には手当が支給されますので、無償ではありません。
公的審査委員が市民の意見を徴集して、自分の責任で意見書をまとめます。意見の種類は、賛成、勧告付き賛成、条件付き賛成、反対などがあります。勧告付き賛成というのは、計画のある部分に変更意見が多い場合は変更を求めた上で事業に賛成するというものです。条件付き賛成というのがくせ者で、これは公的審査委員から様々な条件をつけた上で賛成というもので、当局は条件を満たさなければ公的審査で承認されたとは言えません。公的審査委員の意見書が出された後に、地方議会で審議され、最終的な判断が下されます。つまり、事業を実施ならば公益利用宣言を出すと言うことになります。意見書を出した段階で、公的審査委員の役割は終わりです。あとは行政当局と行政裁判所に任せるということになります。
公的審査の結果は審査委員の意見書という形で結実しますが、これは法的な拘束力は持っていません。極端な言い方をすれば市議会はこの勧告を無視することも不可能ではないのです。では公的審査の結果はどういう形で公共事業の監査に反映されているのかと言えば、それは事業異議申し立ての根拠になるということです。公益利用宣言が議会で承認されると、市民は行政裁判所に異議申し立てを行うことができます。異議申し立ては行政裁判所が裁きます。すなわち、公的審査の勧告を反映せずに事業を始めた場合は、行政裁判所への異議申し立て段階で、差し止め判決が出る可能性があるのです。公的審査の勧告書は、直接の法的拘束力はなくとも、行政当局は事実上公的審査の結果に拘束されるのです。
コンセルタシオン、公的審査とも完全にオープンなプロセスであって、市民である以上は誰も参加を妨げられません*1。フランス人ですから、市民と行政の協議がなければデモ隊が市内を練り歩いたり、市街地の商店街が一斉にストに突入するなど、市民側も実力行使してくるので、オープンアクセスの協議をせざるを得ないということもあります。市民と行政の協議という大切なプロセスですから、完全なオープンアクセスにして、一人でも多くの市民に周知し、一人でも多くの市民と協議した方が事業成功の近道になるという考えがあります。フランスでは、コンセルタシオン、公的審査という2つの手続きにおいて、市民と行政が徹底的に協議する手段が法的に確立しており、トラム導入の源泉の一つとも言えますし、地方自治における住民参加の手段が確保されています。
といえども、フランスでも市民が必ずしも満足している訳ではありません。やはり公的審査は随分間接的な手続きなわけですし、あくまで最終判断を下すのは公的審査委員ですから、不満がないわけではありません。ストラスブール市民にアンケートをとり、公的審査について聞いてみたところ、やはり住民投票による決着を望む声は少なくありませんでした。意志決定への参加プロセスとしては必ずしも望ましいもととは言えないのは否定できないでしょう。と言えども、公聴会に見られるように直接市民が担当者と公開討論ができたり、資料閲覧ができたりと、市民と行政の協議・情報共有・議論の場としての役割は十二分に発揮していると思います。こちらでも、すべての市民がコンセルタシオン・公的審査に参加して議論している訳ではありませんが、それでも主体的に参加したいと思う人にとっては大きな間口が確保されているとは言えます。Neudorf地区の住民が、公的審査という場を最大限に活用して、自分たちの意見・主張を論理立てて行政当局にぶつけて議論している訳ですし、法律に基づいて必ず開かれる公的審査において住民と行政が協議できるフランスと、調停という手段に持ち込まないと住民が行政とまともに協議すらできない日本の差を痛感します。
ツイート | |2004年3月22日作成、2012年5月3日最終更新| |